名前
名前ってのはその人そのものだ。万物は名前を与えられることで初めて存在することができる。大袈裟かもしれないけど、あながち間違っていないと思う。
大学生の頃、友人のメールアカウントの名前が【鼻毛うんこ】だったために、レポートを提出した際に先生から激ギレされていたのを思い出した。
先生は「これが就活だったら絶対失敗するぞ」的なことを言っていたみたいだけど、単純に「ナメてんのか?ふざけんな!」という気持ちのほうが大きかったと思う。
仮に本名以外の名前をつけていたのだとしても、その名前は【〇〇先生大好き】とかだったら怒り方も違っていた気がする。
名付けの重要性を知った学生時代。
そんなこともあって、子どもの名前をつける時は真剣に考えた。好きな漢字を並べて、字のバランスや響きの美しさ、画数など色々とこだわった。
それなりに想いを込めた。
でも、親の想いに子どもの人生が左右されるのは嫌だったので、「それなりに」を心がけた。
子どもが宿題で「名前の由来」を聞かれた時に困らないように、ぐらいの感じだ。
そんな親の気持ちを知るや知らずや、それなりに名付けの意図に沿った育ち方をしてくれている。嬉しい限りだ。
三姉妹
子どもは3人いる。全員女だ。つまり三姉妹である。
「男の子が生まれたらラグビーを教えて日本代表に育てよう」なんて気持ちがあったんだけど、生まれてきたのがみんな女の子だったので、「ラグビーだけは絶対やらせない」という気持ちに変わった。
そもそも誰も興味を持ってくれなかったんだけど(切なさ)。
三姉妹みんな同じように育ててきたつもりではあるのだが、それぞれ個性があって性格も全く違うのが面白い。
それは、家庭で過ごす時間なんてのはほんの一部で、家庭以外の様々な環境から人格が形成されていることを物語っている。
家庭はもちろんだが、その他、学校や習い事、学童保育や親戚の家など、様々な環境や人との関わりの中で人格は形成されていく。
感性ってのは、既存の知識によって変わってくるものだと思うのだけれど、そういう意味で家庭でできることは、色んな物事に触れることができる環境を整えることなのだと思う。
それは絵本や小説かもしれないし、コンサートや旅行に連れて行くことなのかもしれない。
とにかく色んな景色を見せて、思考のベースを一緒に形作るのが親としての務めなのかも。
まだよくわかってないけど、今やってることが子どもたちのためになっていれば良いなと思う。
これだけはハッキリしてる。
祈り
このあいだ、中1の次女から「祈りって意味あんの?てか、神様っているの?」とか、唐突に質問されたから、とりあえず、こう答えといた。
「神様がいると思ってる人にはいるんじゃない?パパが知ってる神様は人の形してるのが多いかな。あと動物系だと色が白い。心の拠り所のことを【神様】って呼ぶこともあるよ。パパの場合はビールとかアニメが神様。普段はいないけど、困った時にだけ出てくる人もいるよ。困ってる人から頼られる存在だよね。ちなみに『祈り』ってのは、最後の最後、何もできることがなくなった時にやるものだから、普段は祈らない状況を作っておくことが大切だよ。パパは何回祈ったかわかんないわ。あとさ、この問いの答えは人の数だけ無数にある系の問いだから、自分なりの答えを持っておくことが一番大切なんだ。以上」
それでは、また来週。