【介護】これから介護職を目指す全ての方へ

2018年4月25日水曜日

介護 介護福祉士 社会福祉士 福祉

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さて、今回は介護職を目指している方に向けて、就職する前の心構えや介護に対する考え方などをお伝えしていきたいと思います。

あくまでも私の持論になりますので、全てが正しいとは限りません。まったく違う考え方をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。

しかし、私が介護職として2年間働いた経験が元になっているリアルな話であることは間違いありません。

どうか最後までお付き合いくださいませ。



はじめに



現在わたしは、特別養護老人ホームで介護職として働いています。

福祉の仕事をする前は、SE(システムエンジニア)としてシステムの設計、開発に従事していました。

介護については、全くの未経験で、介護労働講習の受講~就職に至るまで、常に不安を抱えていたのを覚えています。


今回は、介護職を目指そうと考えている皆さんの不安を、少しでも解消できればと思い、記事を書いていきます。

私自身、まだ経験は浅いですが、2年間という月日の中で学んだことを皆さんにお伝えし、今後の皆さんの活動に役立てていただければと思います。

介護職の1日について


介護職の1日とは一体どのようなものでしょう。

想像してみてください。

利用者のオムツ交換や、ごはんを食べさせることをイメージする方や、慌ただしくバタバタとした過酷な肉体労働をイメージした方もいるかと思います。

いずれにしても、介護職の1日は常に利用者と共にあります。

利用者がいなければ、私たち介護職が存在する意味は無いようなものです。

利用者の生活が軸となり、必要に応じてスタッフがケアに入るのが基本となります。


自立支援という考え方


介護を行う上で重要な考え方の一つに「自立支援」があります。

その意味は、読んで字の如く、「利用者の自立を支援する」というものです。

言い方を変えると、「何から何まで支援しない」と言う事も出来ます。

利用者が出来る事はやっていただき、出来ない事をサポートしていきます。

その為に重要となるのが、「利用者をよく知る」ということです。

日頃の生活スタイルから生活歴、日常生活動作、既往歴、家族構成、食べ物の好み等、利用者自身の事をよく知る事で、利用者が出来る事、出来ない事、必要としていること等の課題が少しずつ見えてきます。

介護職は、それらの情報を手掛かりとして日々のケアを実施していくのです。

つい陥りがちなパターナリズム


そんな中、介護職や福祉従事者が陥りがちなのが、パターナリズムという状態です。

パターナリズムとは、父親的温情主義と訳され、支援者が利用者の利益のために利用者の意思に反して介入、干渉することです。

利用者の利益を求めるあまり、支援者の主観ばかりが先行してしまうのはよくありません。

あくまでも利用者が主体となります。

黒子として出来ることを考える


介護職は、黒子として現場の主役である利用者をサポートします。

決して目立つ事はありませんが、只々謙虚に主役を輝かせるために必死に働く。

とても素敵でカッコイイ仕事じゃありませんか。

脇役の美学がそこにはあります。


業務とケアの違いを明確に


業務とケア。

これらは仕事という観点では同じ意味で捉える事ができますが、似て非なるものです。それぞれの具体例を以下に示します。

【業務】

  • 食事の準備
  • 施設内の環境整備
  • 備品の管理
  • ケース入力 など


【ケア】

  • 食事介助
  • 入浴介助
  • 排泄介助
  • 喀痰吸引 など


業務もケアも重要であり、必要不可欠な仕事であることに変わりはありませんが、介護現場における優先度としては、ケアの方が優先度は高くなります

なぜなら、ケアとは、「利用者との直接的な関わり」を示しているからです。

例えば、以下のような状況が発生した場合、皆さんはどのような対応をとるでしょうか。

Q.
食事の準備中に転倒のリスクを抱えた利用者が立ち上がった場合どうするか?
A.
①食事の準備を続ける 
②食事の準備を中断し利用者の元へ駆け寄る

これは、考えるまでもなく②が正解となります。

業務とケアを天秤にかけた場合、いかなる状況であったとしても、利用者との直接的な関わりである「ケア」が最優先となるべきなのです

但し、ここで勘違いをしてはいけません。

事前に必要となる業務が遂行されていなければ、適切なケアを行うことは出来ないのです。

時と場合に応じて、適切な判断と行動が必要となります


排泄ケアについて



私が就職する前に不安だったことの一つが排泄ケアです。

介護や医療以外の職業で、他人の便や尿を見る機会は殆ど無いと思います。

実際、私も便や尿に全く免疫がありませんでした。

介護を必要とする家族もいなかったので、自分以外の便や尿に触れたのは、子供のオムツ交換の時ぐらいだったと思います。

そのため、初めは排泄ケアに少なからず抵抗がありました。

う●こは1日で慣れる!!



しかし、実際に働き始めてみると、それまで考えていたことが嘘だったかのように簡単に慣れてしまいます

仕事だと割り切っていることも理由の1つだとは思いますが、1日に行う排泄ケアの件数は20回を超えますし、時間に追われる中での作業となるため、「抵抗があるから」などと立ち止まっている訳にはいかないのです。

不安を克服することで、本質的な課題が見えてくることもあります。

何事も先ず行動に移し、経験することで不安は解消されていくものです。

「習う」より「慣れろ」が合言葉です。


う●こよりも恐いものがある!!それは…



排泄ケア以上に、転倒や誤嚥などのアクシデントやインシデントのリスクに対応することの方が、よっぽど神経を使う仕事となります。

人間は良くも悪くも慣れる生き物です。

仕事に慣れてきたことが仇となって、本当に気をつけなければならないことに意識が向かなくなることもあります。

仕事に慣れて不安が解消されることはとても良いことですが、その影に隠れているリスクも常に意識しておく必要があります。

夜勤について



私が勤めている特別養護老人ホームという施設は、24時間入居者の方が施設内にいらっしゃるので、当然、職員も交代しながら24時間勤務する形となります。日中は1ユニット(利用者20名)に対して2~3人の職員が在席して対応しますが、夜間帯は1人での対応となります。

この夜間帯の対応が所謂、夜勤というやつです。

1人で20人を対応することになるので、肉体的にも精神的にも過酷な労働となります。

また、夜間帯は看護師も不在となるため、急変時の対応なども想定しながら、常に気を張った状態での勤務となります。

夜勤する職員の存在意義について



利用者は基本的に入眠されているので、何事もなく静かに時が流れていく日もありますし、反対に昼夜逆転した利用者が夜の散歩を始めたり、状態が急変して救急搬送なんて日もあります。

ここでひとつ思うことがあります。

「もしも、職員がいなかったら、どうなってしまうのだろう?」

想像するに、恐らく、ベッドは便や尿で汚染していると思いますし、歩行される方は転倒し骨折しているかもしれません。

看取り対応の方や、体調不良の方は急変し、そのまま亡くなっている可能性も考えられます。

職員が1人そこにいるだけで、たったそれだけで救える命があるということです。

夜勤中の職員の存在意義は非常に大きいと思います。


「10」 この数字の意味とは…?



「10」

この数字が何を意味しているかわかるでしょうか?



私がこの仕事を初めて2年と数ヶ月になります。

その間、様々な入居者の方と関わらせていただきました。

その分だけ素敵な出会いがありましたし、反対に悲しい別れも経験しました。

このたった2年という時間の中で、私が関わらせていただいた入居者の中だけでも、10名もの方々が天国へ旅立たれました

介護とは、命と向き合う仕事である



人の「死」という、普通ならもっと遠くに存在するはずの出来事が、介護の現場では当たり前のように頻繁に起こります。

考えてみれば至極当然なことで、私達が相手にしている方々は高齢者であり、様々な障がいや既往歴を持たれた方がほとんどです。

入居者の方は「死」という出来事が、漠然としたものではなく、目で見えるところにあるのです。

「命」というものは有限です。

そして、「死」というものは不可逆的な事象です。

私達介護職は、その限られた時間を共に生きることを許され、託された存在ということになります。

瞬間瞬間を大切にし、利用者にとって最も有益となる仕事を日々遂行していく必要があるのです。

人は必ず死んでしまいます。

でも、その分だけ必死に生きなければならないのだと、天国に行った利用者の方々は教えてくれています。


最後に


そもそも人は生まれながらにして価値のある存在です。

ですが、自分の存在価値というものを考えた時、私は自信を持って自分が価値のある存在だと言うことが出来ませんでした。

よくよく考えてみると、私は自分のために、自分が欲するものだけを求めて生きてきたのだと思います。

天才物理学者アインシュタインが以下のような言葉を残しています。


The value of a man should be seen in what he gives
and not in what he is able to receive.
人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。

介護の仕事を始めて、少しずつではありますが、人のために何かしら貢献出来ているのではないかと感じています。

人間はひとりでは生きていけません。

他者が存在して初めて生きていくことが出来ます。

「与える」ような存在にはなれないとしても、喜びや悲しみを分かち合ったり、他人を思いやって行動することで、こんな自分でも少しは価値のある人生を送れているのではないかと思えるようになりました。

現代の日本では、介護職不足が問題視されています。

厚生労働省によると、2025年には介護職が253万人も必要とされているそうです。

それに対し、38万もの介護職が不足となる見込みです。

介護職は、社会的に見ても重要であり、今後の日本に必要不可欠な存在であると言えます。

そう、私たちは必要とされています!


やってやりましょう!! 


今後の福祉業界の明るい未来と利用者の方々の幸せを願って。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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